2026/10/25 21:20
南部鉄器は奥州と盛岡とどう違いあるのですか?良く尋ねられますが、その違いを説明します。
奥州と盛岡は岩手を代表する南部鉄器の2大産地で、ルーツはそれぞれ異なります。
鋳物の街ここ羽田町は昔は江刺郡で次に水沢市になり今は奥州市で、江戸時代は伊達藩になり、岩手県は北上市の相去を境に南部藩と伊達藩に分かれてました。
羽田町の鋳物は平安末期の約900年前に奥州藤原氏が近江国から鋳物師を招いた事がルーツとされ、奥州藤原氏からその後、仙台領藩の葛西氏と関わり鋳物が庇護のもと発展してきました。
盛岡は江戸の慶長年間南部家27代利直の盛岡城築城の頃に始まったとされ、京の文化に関心があったことから茶釜などが作られてきました。
羽田町の鋳物は盛岡の鋳物と異なり日曜品の鍋、釜中心に作られ、生産量は盛岡を遥かにしのぐ生産量で明治時代には鍋釜日用品の生産は東北一の生産になりました。
現在の南部鉄器は昭和34年に両地区の組合が南部鉄器協同組合連合会を結成して、盛岡の南部と水沢は岩手の南部に位置する事から南部鉄器の名とされ技術交流などを深めて発展してきました。

