2025/07/10 22:15
南部鉄器の名称は戦後、盛岡は南部鉄瓶商工業協同組合と奥州市は昭和29年に水沢鋳物工業協同組合を作り、昭和34年に岩手県南部鉄器協同連合会を共に設立し、旧伊達藩の水沢鋳物工業協同組合は伊達鉄器と呼ばず、岩手県の南部に位置することから南部鉄器と呼び、旧南部藩の南部鉄瓶商工業協同組合は南部藩の南部で南部鉄器と統一する事になりました。
奥州市と盛岡の南部鉄器の歴史はそれぞれ異なり、奥州の南部鉄器は今から約900年前から伝わり、盛岡の南部鉄器は焼く600年前から伝わったと言われています。
南部鉄器の鉄は今では、ほとんどの鋳物工場では製鉄所で鉄鉱石から作られる銑鉄を原料に南部鉄器が作られますが、洋式高炉が使われるようになるまで江戸時代以前は砂鉄を原料とするたたら製鉄で作られた銑を使って南部鉄器が作られていました。
明治時代以降はこの辺り周辺の気仙住田地方の栗木鐡山から作られる銑鉄が使われ、栗木鐡山は木炭を使って取り出した銑鉄で南部鉄瓶を作るのに適した銑鉄でした。
そして南部鉄器の鉄の材質はネズミ鋳鉄と言われ鉄の中でも多く黒鉛を含む材質です。
