2025/06/16 21:13
今から約900年前平安時代末期に奥州藤原氏が近江の国から鋳物氏を招聘したのがここの奥州市羽田町の鋳物の始まりとされてます。
ここの近隣の山には、鋳物に適した粘土があり、原料になる鉄や銅が採れて、木炭も近隣で生産し、そして北上川には良質の川砂があり、船運の要所でもあり、鋳物が発達する条件が揃ってました。
羽田町田茂山の鋳物は鍋や釜などの日用品の生産が中心で明治時代にはこんな片田舎が東北一の鋳物生産地になりました。
岩手の南部鉄器の2大産地の奥州と盛岡は伊達藩と南部藩に鋳物産業が保護され発展し、時代を経て、昭和の時代1959年に南部藩の南部と水沢(奥州)は岩手の南部に位置するという事から、岩手の産地として南部鉄器となりました。
そうした鋳物の歴史の中、高度経済成長と共に南部鉄瓶の伝統技術が機械化、大量生産によって失われつつあり、後継者不足の問題も深刻化されます。
そうした中、及鉄鋳造所宝鉄堂は失われつつある伝統技術を継承し、古来からの焼型で南部鉄器・鉄瓶を作り続けます。
