2025/05/11 11:51

 鋳物の街羽田町の鋳物の歴史は約900年前に奥州藤原氏が近江の国から鋳物師を招聘いたのが始まりとされ、南部鉄器工房OITETSUはここ羽田町のど真ん中、田茂山に有ります。

 この岩手の片田舎、田茂山、羽田町に鋳物が発達した要因に資源については
・砂鉄、鉄鉱石が近隣の気仙、東山に産していたこと
・良質の砂が北上川とその支流から採取出来たこと
・田茂山をとりまく丘陵地帯に良質の鋳物に適した粘土があったこと
・鉄を熔かす材料の木炭が近隣で生産していたこと
などが挙げられます。
 また地の利については
・東北文化の中枢地帯に囲まれ、また舟運に恵まれた北上川流路の基地であったことと、
・北上川の終着が石巻で仙台まで近かったこと
 そうした諸条件が羽田、田茂山鋳物が発達し、田茂山鋳物はお釜師や御用商人といわれる名人工芸品を生産販売するのではなく、鍋、釜など大衆庶民に直結する生活必需品を生産販売してきました。
 それが明治期には東北一の鋳物の生産地として発展しました。そうして戦争、洪水、大火災を経て現在も羽田、田茂山鋳物は発展し続けます。